夏空に咲く黄色の大輪

2014年のヨーロッパ遠征時、特に事前知識なく通過したときに見た赤い機関車と枯れていながらも広大に広がるひまわり畑の姿が忘れられずかねてから再訪のときを虎視眈々と狙い続けていた東欧・ブルガリア。ひまわり畑が黄色に咲き乱れる時期の渡航が大前提とあって、決行は7月3連休に限られる。これが為に中々に渡航タイミングが訪れぬうちに空白の2020/21年を迎え、その間にもこの国に残るソ連期からの古い機関車は数を減らす一方となっていた。もうこれ以上は待てない。あまりにも緊急を要する状況を察し、未だ日本を含む東アジア各国で入国規制の続くなかにあって弾丸遠征を強行する運びとなった。

退勤後そのままの勢いで羽田へ飛び、待ったなしで一気に出国。そのまま夜行便でイスタンブールへ飛び現地時間翌朝にはブルガリア首都/ソフィアへ着。勢いそのままにレンタカーを借りだし三日間を駆け抜けてまた夜行便で日本へ戻る、かつての弾丸遠征と同じような強行軍におのずと士気はかつてなく高く、自分の中に蠢くイケイケドンドンな思いが己を本能のままに突き動かす。これこそが弾丸遠征を完遂させる原動力。素面では出来る気がしない狂気の行程。

だがしかし。当初描いていたソフィア近郊半径200キロ圏内でリュドミラもといClass07やClass06のデジロ代走運用や限りなく広がるひまわり畑を泳ぐチェブラーシカ、のどかな農村をいくロードープ鉄道を一気食いする計画は初日からズッコける。

まず、ひまわり畑は確かに広いが畑の何区画にも渡って見渡す限り真っ黄色といったような光景は少なくとも線路際では発見できず。続くローカル線でのデジロの故障代走につくDL客レ運行便は2か月前の事前情報ではリュドミラが運用に就いているはずが来たのは日本でいったところのDE10、いわゆる構内入替機。だからといって捨てるには忍びない被写体であることには変わりなく、断じて被写体にはなり得ないデジロよりは全然いい。

初日にして当初計画の崩壊した事実を前にして、せめてリュドミラだけは確実に撮って帰ろうとソフィアから500㎞彼方のヴァルナへ車を走らせる。そこなら代走ではない定期運用でリュドミラが走行しているためである。だが、ブルガリアでのドライブは決して楽しいものではなく車窓に広がるのは防風林ばかり。これが邪魔で周囲の景色を全く楽しむことができない。それでも時たま自分の理想に描いていた地平線の彼方まで続くかのごときひまわり畑を見ることは出来たのが少しの救い。-そこに線路はないのだが。

ともかく日の入り直後の21時、車を黒海沿いのビーチに停め、温泉文化の乏しい海外にあって極めて日本っぽい硫黄臭のほの香る野湯に入り初日からプランの完全崩壊を食らい動揺を隠せない己を落ち着かせる。ホテルにチェックインする手間も惜しいのでそのまま車中泊。夏の欧州の夜は短い。22時頃にようやく真っ暗になったと思いきや朝5時前には日が昇り始める。狙いの列車の走行も早朝である為に願ったり叶ったりではあるが、休む間のない夜の短さにひとり弱音を吐きながら再び車を走らせる。やってることが国内での強行軍デイトリップと変わらないが、車窓には美瑛の如き丘陵地帯と東欧州の垢抜けない家々が並ぶ住宅街が流れゆく。更には爺さん婆さんが馬車を曳いている。こんな21世紀とはおよそ思えぬ穏やかな情景のなか、ペンションの軒先でコーヒーでも啜っていたいものだが現実は厳しいものである。目を血走らせ辺りを見回し撮れる場所を探し続け、頭は列車通過迄に残された時間と脳内に叩き込んだ航空写真と想定される光の角度と色、求める絵への優先順位などなどあらゆる条件情報をまとめあげ最適解を導き出し、手足はハンドルとペダルを操作し続ける。そんなドタバタを経て出した答え。

朝日に輝く丘陵を老兵の曳く夜行列車が横切っていく。かつては長大編成を勇ましく曳いていただろうリュドミラと他国からの払下げ客車が走るローカル線の風景。実にエモーショナル。ところで本来ドブリチ線を走るリュドミラはこの客車2両によるソフィアとの夜行列車とその間合い運用だけのはず。ところが早朝にロケハンをしている最中に本来デジロが走るはずのローカル筋にリュドミラが走っている所を目撃した。差替えが発生していなければそのまま折り返してくるはず。この日はドブリチ線はほどほどに南部のローカル線を走るClass06に賭けるつもりだったがその運行パターンはあくまでも推測の域を出ない為、昨日の負けがあるなかで更なる博打を打つのも恐ろしく堅実にリュドミラのカットを増やしていく方向に。

とはいえ、今いるヴァルナ-ドブリチ線はソフィアから500kmの遠方にある。向日葵探しを含めた途中の寄り道を踏まえると高速道路のないバルカン山脈北部を走ることになり、路面状況の点からも夜に走れるものでもない。どのみちヴァルナ-ドブリチ線にあっても撮影地がそんなにある見込みもなく、ほどほどに切り上げて撤収した。その後は延々とドライブである。道中、向日葵畑と線路を上手く絡められないかとトライしたが見込は大外れ。

更にはこの日の夜に狙っていたClass06代走であると事前情報を掴んでいた支線運用は最新情報ではデジロに表記が戻っている。もうこうなるとVカットを得るための為す術は何もない。とりあえず日が沈むまで車を走らせ続けて適当な駐車場を探して再び車中泊となった。

最終日。この日は午後からソフィア方面で曇天予報であり、もはやこれまでかと思っていたところがこの日の朝改めて予報を確認するとまさかまさかの好転好天予報に変貌していた。なんたる僥倖。ここまでの渋い成果と景色の開けぬ防風林に囲まれた道路、いつ大穴を踏んでパンクするともしれない東欧の田舎道に身も心も疲弊しまくっていた中にあってもやる気は高まるばかりである。

薄明にもなっていない夜明け前から車を走らせ、ひとまずロードープ鉄道へ。ソフィアが曇天になる場合はここで一日茶を濁すところであったがもはやそれどころでもない。この路線はこの路線で捨て難き魅力はあるが私にはそれより撮りたいものがある。

だがしかしトラブル発生。ガレた道で石にバンパーを擦る。事故証明さえあればいいとはいえどうにも細かい傷に五月蠅そうなレンタカー屋なので状況写真と発生個所だけGPSログ採って警察署にピットイン。穏やかな晴れの休日の朝の2時間が潰れていく。これまで線路際の向日葵畑を探してブルガリアを奔走してきたが結局のところソフィア近郊が一番良いとの結論に至った。だが7月中旬を過ぎ朝日の方向を向き続けるようになった成熟期の向日葵の性質から言って午前中しかチャンスはない。焦りが募る。

なんのかんので何とか処理を終えてリスタート。ソフィアへ向けて高速道路を爆走する。

道中、高台を走る高速道路から眼下に黄色く染まる一帯を見つけた。そこには線路が走っている。直感を頼りに高速を降りて先ほど黄色く見えた一帯へ車を走らせる。この遠征中に思い知ったことではあるが、肉眼では向日葵が派手に咲いているように見えても撮影素子を通すと茎の主張が激しくファインダーを通すと色が緑がかっていたり向日葵の密度が薄く迫力に欠けて写る場合が多々ある。ユーザーのご都合補正が入る肉眼と違い、機械は馬鹿正直なのである。それでも今回高台から見た向日葵はかつてなく黄色が濃く、それ故に可能性を見出した。いざ線路際の向日葵畑に来てみると、期待以上と言えるレベルになくとも願いに応えてくれるくらいには広大で奥行きもある。線路際に余計な木と柱が乱立していることを除けば比較的に条件がいい。列車の本数はそれほど多くない、チャンスは一度きり。ああでもないこうでもないと切位置を推敲し続け、気合の切り抜き。海外撮影にして珍しく用いられる望遠レンズ。

一応空から広角も抑えておく。本来これが渡航の主目的だったはずだが思ったより限りなく密に広がる向日葵畑はそんなに無いらしい。

とりあえず今遠征の主題は手堅く抑えることには成功したがフライトまではまだ12時間ある。というわけでソフィアから北へ向かって再びバルカン山脈山中へ突っ込んでいく。九十九折を果てなく上り詰め、石灰岩の崖から眼下を見下ろすと高高度からの大俯瞰がそこにあった。なお列車は豆粒。

大迫力の俯瞰ではあったが豆粒俯瞰では電車を撮った気がしない。また更に山脈の北側へ回り込み別の俯瞰ポイントを目指す。ポイント直下へ車を走らせてきたは良いがその時列車通過15分前。俯瞰アクセスルートは明確ではないが野生の勘を頼りに尾根を駆け上がる。ところどころで獣道が消失するが知ったことではないと突き進む。やがて木の生えようのない岩場に躍り出る。間違いない、ここだ。その瞬間息つく間もなくやってくる列車。この遠征を象徴するドタバタ劇。

最終日に手にしたまさかまさかの大漁とあいも変わらずスカッと広がる青空に足取りはひたすらに軽い。もう既にアンコールにアンコールを繰り返し、満場拍手喝采ではあるが更に余った時間を使ったソフィア市内での少々のトラム撮影で時間を潰し帰国の途に就いた。機中の酒はいつになく美味く感じられた。

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