冬の南アジア3連戦

おおよそ地球全土が満遍なく塗りつぶされつつある私のフライトログのなかに未だ広大な空白が残っているエリアがある。それは南アジア、つまりインド・バングラ・スリランカ等々が位置するところ。22‐23の冬シーズン、この地域に開いた穴を埋めるべく3回に分けて連続渡航を敢行した。その第一弾はインド。被写体選びの結果としてではあるが、詐欺師蔓延る悪名高い北インドを避けて南部インドをホッピングすることにした。

が、その結果は散々たるもの。暑さと尋常ならざる湿気から逃げようにもエアコン設備は碌になく、更には延々鳴りやまぬクラクションに耳が参り果てそんな環境から逃げる為に奮発して泊まったホテルも値段に見合わぬ低クオリティ。動く頭も回らず、果てには最大の目当てであったパーンバン橋は設備トラブルにより運行停止。そもそもパーンバン橋自身の新橋建設の勢いは凄まじく早く、これまで海外渡航を封じられていた2年間の間にも青いベンガル湾になんとも心許ない背丈の低い単線の長大橋梁が架かる風景は完全に失われていた。現在ではさながら第二レインボーブリッジが有明に架かったような、SF的光景がそこにはあった。

この後に続くバングラデシュのカルチャーショック、スリランカの快適旅行に比べるとインドはただただ苦行の連続で不自由も多く、あまり良い思い出はない。むしろ北インドで詐欺師とバチバチにバトルして揉まれるほうがこの国の楽しみ方としては正しいのかもしれない。


第二弾はバングラデッシュ。コロナ禍明け実に2年越しの開催となるイスラム教の大祭"ビシュワ・イジュテマ”のために人が溢れ返り列車が車内「外」に乗車し、さながら列車が動く人塊と化す現代に残る無形文化遺産的カオスを求めてインド遠征の僅か2週間後の土日の弾丸渡航を敢行した。2022年夏に当地の裁判所からはトレインサーフィンを禁じるお達しが発され、めっきりこの屋根乗りが見られなくなったと聞いていたこともありダメでもともとでのアタック。ダッカへは土曜日の昼に到着、入国後すぐさま空港駅へ行くも人出もさほどではなく屋根乗りの気配は皆無。渡航の前から感じていた空振りの予感は益々強くなる中早々にオールドダッカの観光に切り替えを決断。

翌朝起きると空港から大祭会場へのアクセス路上に位置していた宿の窓の外には会場へぞろぞろとホコ天化した大通りを歩く人の列が見えた。これはもしやと線路際へ走り、列車を待ち受けた。何本か列車を見送り続けやっぱりダメかと諦めかけたその時にスモッグの先に見えた異様に大きな列車のシルエットがみえた。この国にアメロコの本場米国サイズの巨大機関車は存在するはずがない。これは間違いない。鈴なりのトレインサーファーが乗る人塊列車に違いない。

これこそがずっと憧れ続けたアジアのカオスのその極み。鉄軌道上を走る人の塊。危険であることに違いはなく、禁止されるのはごく自然なことではある。が、ビシュワ・イジュテマのこの日に限っては祭りの熱量と圧倒的動員数がトレインサーフィンを復活させるはず。その読みが見事に的中した場外アーチの特大ホームラン。

この後も大祭会場最寄り駅までを往復して日の暮れるまで地球上でもほぼ最後となる屋根乗り風景を楽しんだ。これほどに充実感に満ち満ちた撮影行はこれまでになく、そしてこの後にも再来する気がしない。だけれどもこの強い刺激を忘れられず、更により良き刺激を求めて飛び回る。中毒患者か?と心配されるだろう。声高らかに答えよう。いかにもその通り、と。


一か月ほど間を空けて南アジア第三戦はスリランカ。1-2月といえばスリランカ中央高地の紅茶のクオリティシーズン。山の斜面一面に広がる新茶畑それ自体が非常に魅力的な景観ではあるが、その中を線路が通りあまつさえ客車列車が走るということがそのプライオリティを天元突破に高みへ至らしめる。スリランカの紅茶にも細かに違いがあり、その中でも大まかな分類として標高別にその種類が大別されるというものがある。その中でも今回の目的地たるヌワラエリアを含む高標高地に産出されるものは”ハイグロウン”と称され、この地の日夜の寒暖差とこれによる霧や雨がもたらす豊富な水分と適度な日照時間が上質な紅茶葉を育む。香りの立った甘い茶を好む私にはここの茶は元より好物であり、純粋な観光旅行という点でもこのスリランカに懸ける思いは強いものがあった。

スリランカの玄関口たるコロンボと中央高地の標高差は1500m~1900mほどではあるが、如何にも熱帯気候な暑いコロンボから比べると中央高地の快適な気候は標高差以上の違いを覚える。当初はコロンボ周辺でもう少し徘徊してみたかったところではあるが到着早々にその暑さに悲鳴を上げてコロンボ駅のスナップに終始した。だがしかしそこはイギリス統治時代に建てられた築100年にも迫る歴史建築。何もかもが現代に至るまで着々と進行してきた省エネ・節約の概念がそれはもう希薄な時代の木材鋼材コンクリがふんだんに用いられた重量感に溢れるフォート駅は何時間も滞在して愛でるに値する。結果6時間ほどこの駅で過ごしただろうか、その後に夜行列車で中央高地を目指した。

そこにあるのはアジアの雑踏から隔絶された静かな山村。美麗な景観の中に身を置いて村を山を線路を練り歩き列車を撮り時には乗ってユルく時間の流れる車内空間を愉しみ、合間時間には紅茶店で茶を啜り、最高の休暇を楽しんだ。

終わった後にはこの南アジアで2ヶ月丸々を過ごしていたんじゃないかというような錯覚すら感じる。実際はトータル2週間ほどしかいないのだが。久々に次から次へと撮りたい絵が浮かんでくる、正確には被写体の側から群がって襲い掛かってくる、そんな新鮮な環境に身を置いた良くも悪くも印象に残る3連戦。ここに完遂。

TRAINSIT

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