欧州遠征2015夏-4-

ブダペストを発ち、次の目的地ウィーンを目指す。が、丁度この時あの難民騒動の真っ只中。特急電車は運行停止、その他の交通機関も果たして辿り着けるかどうか、怪しいという状況。

前夜も心配で眠れなかった。食事すら喉を通らなかった。

まず目指したのは特急が運行停止しているルートをローカルで突破するというもの。鉄道会社の乗り換え案内では行けるようで行けないようで、完全に運行停止を発表している特急とはまた違う案内の仕方なのでひとまず目指してみました。が、国境を目の前にした駅で運転打ち切り。

前夜にはタクシーで90€払ってオーストリア国内で乗れる駅まで行ったという情報も見つけていてとりあえずタクシードライバーに尋ねると20km以上先まで行かないとならない。80€する。とのことで付近で運転打ち切りで不貞腐れてるオッサンにシェアを持ち出すも、無視される。

で、別に何か有益な情報が欲しくて駅員にどこからならウィーンまでの列車に乗れるのかと聞いてみると5km歩いた国境の先の駅からなら電車に乗れるよとの回答が。たかが5km、なら歩くよという事で歩き出したのがこの日の大冒険の始まり。ただの5kmではなかった。

別に道自体は時折難民が警官に引率されてパレードしていたり所々に警官が立っている以外は普通に地元民がサイクリングしてたりで特に問題は無い様子。国境には難民キャンプが出来ているもののパスポートさえ見せれば問題なく通行出来る。いやシェンゲン圏内でパスポートを見せないといけないという状況は極めて平和ではないのだが。

国境から先はいよいよ難民がそこかしこをウィーンに向かって歩いている有様。デカいバックパックを担いだ自分自身も難民の波に溶け込んでしまい、まるで自分までも難民になってしまったようだった。

いざ駅に近づくと難民から列車はダメだ引き返せと言われるものの、どうにも信用出来ない自分はそのまま突撃。あえなく轟沈。

駅員が国境の先からなら動いていると言うものだから、地元民の乗客の事もあるから難民以外の人間は乗せてあげるという事なのだろうと好意的に受け止めて難民の波に乗ってのこのこと歩いてきたがこの世界そう甘くはないらしい。もと来た道を引き返す。行きは難民の波に乗っていたから同化していて何も起こらなかったけれど、帰りはその波を逆行するから目立つわ目立つわ、とにかく目立つ。

おかげで難民には金をくれだ何だのと集られ、それを何度躱し続けた事か。

こんな危険な真似をやった旅行者は自分くらいなものだろう。いやそうであることを祈る。本来ならそうであるべきだ。一万円も払えないけれど何とかしてこのイレギュラー事態な国境を越えようとしてやったことではあるけれど何とも危険な真似をしたもんだと思う。貴重な経験ではあったけどハッキリ言って誰も真似をして欲しくない。

何とか降りたハンガリー側の駅まで帰り着き、夜も迫りつつある時間なので今夜はブダペストで一晩を越して何らかの情報をもう一度探そうと引き返す。その最中、車内で見ていた地図にメインルートから少し離れて並走する形でショプロンからウィーンに向かって小さなローカル線が伸びている事に気付く。

が、ショプロンに向かう路線への乗り換え駅であるジュールの駅員に聞いてもその区間が動いているかどうかはわからないという。

どうせ田舎なら野宿しても問題は無いだろう、ということで玉砕覚悟の特攻を決意。

ジュールからショプロンへの道中、難民とはまた別の代行バスが運転されていてこのルートへの不安を煽られる。が、もはや玉砕を覚悟した決死の特攻。これこそ日本のKAMIKAZEだと不思議とどっしりと構えている自分がいた。

そしてローカル線に始発駅であるショプロンに到着。ホームにはオーストリア国鉄の単行気動車が停車していた。既に周囲は真っ暗闇、乗客は自分含めわずかに5人ほどしかいなかったけれど早くも不思議と安心感に包まれる。そしてついにウィーンに到着。時間は23時前。昼にウィーンに着いて観光することはおろか、とっくに駅の窓口は閉まっていて列車の予約も出来ずで晩のうちにヴェネツィアに向かうことは叶わなかったが近代的な駅を見てついに西欧にやってきたのだという実感と、過酷を極めたとはいえ無事に到着したことへの安堵と達成感でいっぱいだった。

時間が時間、始発で出る事を考えれば難民でいっぱいのちょっと治安の悪さを感じるウィーン駅だけど野宿を決意。始発を待った。

そしてこの夜、自分がウィーンに到着してから、歩き方がサイト上にて国境越境において通過可能なルートをまとめて案内をした。あと一日早ければこのような苦労をすることは無かったのに…貴重な経験を出来たとはいえ悔しかった。

この国境越えを前にした数日の心ここにあらずな心境。飛行機で飛べば話は早かったのだろうけれどもそんな金はなかった。心に余裕があればもうちょっと大胆にあんなことやこんなこと、出来たかもしれない。面白い体験ではあったけれどやはり悔しい。

この日は難民というものを至近距離で観察することが出来たけれど、彼らを誘導する警官達には明らかに疲れの色が見え、難民達は貰ったものも気に入らなければ目の前でポイ捨てする始末、自分に物乞いして来た際にも何も貰えないとわかるや暴言を吐いてきたりのやりたい放題。いくら宗教的にも違うとはいえ彼らの行動にはいくらか疑問を呈すところが多かった。 日本での反韓同様、ヨーロッパにおいてもヘイトスピーチを非難する動きがあるが、西欧に住もうとしておきながらその文化に馴染もうとしない彼らの行動を見ていると申し訳ないがヘイトスピーチも巻き上がって当然ではないかと感じた。

別に彼らを差別するつもりなど毛頭ない。むしろ彼らの文化、特に彼らの大切にする宗教観を尊重し多少なりともトルコやモロッコという国に行くのだからと調べもした。物乞いという行為には喜捨というイスラムの概念が根底にあることも知った。だが、明らかにイスラム教徒でもない人間から物をもらえなかったからと言って暴言を吐いたり、ぱっと見るだけでも明らかにするべきではないと分かる場所でポイ捨てをしてみたり、我々からしてみると道義に外れた行動をすることがあまりに多過ぎる。何も彼らのイスラム圏ですることが問題とまでは言わない。全く違う文化圏で、しかもこれから住まおうとしている場所でそのような行為に及ぶ事が自分には理解出来なかった。これではただでさえ過激派の所為で評判の悪いイスラム教の評判がますます落ちるではないか。その事を彼らは自覚しているのだろうか。

かなり考えさせられた。そして心配にもなった。

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