地球の裏側で改元を祝う-3-

撮影二日目の朝。高山病の症状は軽くなっていた。どちらにせよ一旦はオヤグエへ向けて山を登ってくる列車を迎え撃つためにはこちらから標高を下げて行かねばならない。

走るにつれて頭の動きは冴えてくる。酸素ってこんなにも有難いものだったんだと感じさせられながら、グングン高度を下げていく。そこでふと覚える違和感。列車が来ない。保線員を見かけたのでいつ来るかを問うてみるもそもそも把握してないような素振り。「まだ来てない」ような事だけは何となくわかる。来ぬのなら 来るまで待とう ほととぎす

やがて、どこからともなくディーゼル音が聞こえてくる。光の角度も絶妙に良い。

‥‥‥‥‥‥‥‥

Mammmmmmmmma Miiiiiiiiiiiiiiia!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


はい次。酸素が薄かろうが何だろうが砂の丘を全速で駆け上がりシャッターを切る。

そこら辺の丘を手当たり次第に駆け上がる。そして撮る。気がつけばオヤグエに帰ってきていた。待ち構えるはボリビアからやってくる我らがジャパニーズロコ。

だがしかし。待つ事数時間、いくら待っても列車は来ない。まさか寝ている間に編成の交換をしたのかと周りを見渡すも何も変わった節はない。これ以上待ってもカラマの街への帰りが遅くなるのみ。何もないオヤグエでの町での連泊は出来れば避けたい。またあのシケた晩飯では餓死の危険性がある。念のためとカップ麺を持ってきてこそいるが沸点の低いこの環境下でまともに食せる気がしない。そもそもこの酸素の希薄な環境下では自身の腹以上に大きな問題が一つある。

それは車の燃料。燃料タンク容量80lのピックアップトラックを借りてはいるが、それだけの燃料を積んでいながらにして、まだ400kmも走っていない燃料タンクの目盛りは半分を切っている。燃料を手に入れる術はあるのはあるだろうけれどもこの辺境でお裾分けしてもらう燃料の取引価格など考えるだけでも寒気がしてくる。オヤグエでの長居はまさに命取りとなり得る。 今日は戦略的撤退。カラマの街に戻り世界に点在する我らが実家、イビスホテルにチェックイン。

一筋縄では行かない辺境の地での撮り鉄。よもや2日間ともフル戦果とはいかないとは。

折しもこの日は日本時間での5月1日を迎えた日。それは平成の世から令和へ移り変わる記念すべき日。日本人としてはあまりにも特別な日であり、平成生まれの私としては初めての改元の日。だが、地球の裏側の鉱山都市と無人の荒野で迎える改元の瞬間はあまりにも実感に乏しく、改元による祝賀ムードを肌身と心に実感するのはもっと後のことになる。

本当はカラマ以西の区間での撮影も行いたかったところではあるが、3日目もオヤグエ界隈での撮影に挑む。今日こそは基本パターンでの列車運行をしてくれと願いながらもはや見慣れた荒野の直線道路を爆走する。やがて、彼方に朝日に照らされる人工物の帯を視界に捉えた。

…あれは、あれこそは貨物列車に違いない。ここからはもうルーティンワーク。撮れそうなところを見つけては道路上だろうが荒野ど真ん中だろうが車で直乗り付けしテキパキと撮っていく作業が続く。もはや沿線風景はここまでにお見せした通りの写真の景色が広がるのみなので全部を載せる必要などあるまい。

同じような景色の中、同じ列車を撮り続けることに何の意味があるのかと自問することも無いとは言えない。だがその答えはこの同じように延々と続く大荒野にある。

世界の終わりのような、地の果てのような荒野に自らの身を置いて自らの勘と経験を基に縦横無尽に駆け回る。一歩間違えれば無事には帰れないかもしれない。だがその危険がむしろ良い意味で刺激的ですらある。大自然を舞台にした遊びの醍醐味はここにある。もはや列車そのものが魅力の対象ではなくなってきているところが鉄道趣味者からすると常軌を逸するものではあるが、こういうものなのである。

そうこうするうちにまたボリビア国境の町へ帰ってきた。道中の検問所の警官とはもはや顔馴染みである。毎度お馴染みの顔して片腕上げて気軽に通過していくレンタカーの日本人。どんな気持ちで彼は私を見ていたのだろうか。

国境のゲートに立つと彼方には2灯のハイマウントライトの明かり。今日は完璧なタイミングで列車が来てくれそうだ。背景には余計な人工物など何も無く、真っ青な空の下、2両の日本製機関車が曳く貨物列車が走ってくるこの景色を無我夢中で己のカメラに結像させる。

今更ではあるが、この貨物列車が運ぶ財源が日本の商社が運営する銅鉱山から出荷されたものである点がまた我々を興奮させる要素である点は是非ともお伝えしておきたい。

日本の機関車が曳く日本企業によって開発が進められる銅鉱山資源を満載する列車がこの地球の裏側の辺境の地で日本人である私の目の前にある。じっくり楽しんでいけとばかりにチリ側の機関車はボリビア側から受け取った編成をすぐに持ち去っていく気配もない。ありがたくじっくりとこの俄かに信じがたいシチュエーションを味わせていただいた。

3日間お世話になったオヤグエの町を後にして列車を撮りながらカラマの街へ戻っていく。

植物の存在しない砂漠地帯を走る何度見ても浮世離れした光景。正直なところ3日間も見ているといい加減飽きてこないでもない。

写真に映り込む町は丸ごと廃墟となっている。この町がかつてなんであったのか。地図に地名の記載なくもはや調査は困難。オヤグエの旧市街?

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