地球の裏側で改元を祝う-4-

日本から約16,000kmの南米をわずか10日間の休みで周遊するのは無理がある。

それでも我々社畜トラベラーはこの短い休みに様々な要素を盛り込もうと努力する。今回はアントファガスタ州のみならず、チリ最北端をも掛け持ちしようと試みた。正確にはペルー南部に存在する銅鉱山鉄道を。とはいえチリの地方都市からペルーの地方都市を短時間で移動するのは些か難易度が高い。空路では一旦チリ首都サンティアゴを経由してペルー首都リマへ飛び、そこからペルー地方都市へ飛ぶというルートを取る。当然ながらその費用は馬鹿にならず、かといって移動時間は丸一日かそれ以上か。では地上はどうかと言えば、夜行バスで地方都市間を移動し、国境を何らかの手段で淡々と越えていけばいい。

んがしかし。私が目指すのは単に都市を訪問するのではなくその郊外を走る鉄路に目的があり、当然ながらレンタカーを手配する必要がある。勿論、地方都市の非メジャーレンタカーともなれば時間の制約も大きく更に言えば殊に南米にあってノントラブルで貸し出し返却ができるとは確証は万に一つもない。

当然と言うべきかどうか、取った手段はこれまで活動してきたカラマからチリ北部のアリカへ夜行バスへ移動。更にアリカで調達した大手レンタカーを以って国境を突破、ペルーを目指すと言ったもの。

結果から言えば、バス乗車時の混乱でサブカメラはスられるはレンタカーは国境越えられず引き返す羽目になるわの大失敗。レンタカーを捨て置いて国境を越えて別のレンタカーを探す手がなかったわけでもないけれどもこの行程を残された僅か2日と数時間の時間でクリア出来る可能性はほぼない。

幸いにしてチリ北部の街アリカはそこそこの規模の港湾都市でありバカンス地とするには十分な施設もあり、休養ということにして茶を濁す。

アリカから200km弱でボリビアに国境を面するラウカ国立公園の観光など。

ちなみにラウカ国立公園はボリビアに国境を面することからも分かる通り、標高は4000m級の高地に存在する。200kmで海抜ゼロ地点から標高4000mをクライムしていく…文字に起こしても強烈、自らの身体にとっても実際に過酷そのもの。ついさっきまで活動していたアントファガスタ〜カラマ〜オヤグエ〜ウユニと走破するアントファガスタ・ボリビア鉄道はカラマ〜オヤグエ間200kmで標高2000mを起点とした2000m程の高度上昇であることを考えると如何なるものかが想像できるだろうか。

そして、このアリカを起点としたボリビアへの鉄道路線アリカ・ラパス鉄道も存在し、2013年を最後に休止となっていたものが2021年、遂に路線は復活する。

海から砂漠、そして富士山のような美しき独立峰が数多く並び立つ高原を走る鉄路。想像するだけでも興奮するロケーション。夜にはアリカの街で海鮮を食し立派なベッドで休みを取る。鉄道趣味者にとって最高のバカンス地となることは間違いない。今からどのように再訪するかを考える日々である。

やがてきた帰国の日。サンティアゴを夜に経つ飛行機を待つ間、レンタカーを借り出して内陸の大都市サンティアゴの外港としてチリ最大の量を扱う港湾都市でもある。

急坂にカラフルな建物が並び立つ景色が名物の世界遺産都市でもある一方、それ以上にレトロなトロリーバスに目を惹かれるのは趣味者のカルマか。

世界各地から1950年前後のトロリーバスを収集し、今なお営業運行にバリバリで運用されている。アメリカのPCCカーに風貌が似通っているのは偶然でもなんでもなく、プルマン社の製造であるが故。1950年前後というとPCCカー製造末期に相当する。

もう少し丁寧に撮り歩きたい被写体ではあったが、バルパライソ訪問はあくまでトランジット中の超弾丸ツアー。後ろ髪を引かれながらも撤退。

アメリカを経由して日本へ戻っていった。その道中にパソコンを叩いて何かの決済を完了する。今回の未練のカタを付けるべく、歯車ははやくも回り始める。一年に2度の南米渡航をするという狂気が確定した瞬間。

そして飛行機は成田へ。令和の新時代の到来を祝すCAのアナウンスに涙する。

成田着陸のその瞬間まで新元号の実感が皆無だった浦島太郎は現実に帰っていった。


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