東方幽囚記

“Covid19”、その名の通り19年末に端を発する新型ウィルスがもたらしたパニックは20年春にはいよいよ国際往来を封じるまでに至り、22年に至ってもなお未だ制限に縛られる羽目になった。具体的に表現すればするほど不快なので記述は避けるが嫌な方向での再発見ばかりが続くのがこの不自由な2年間を過ごしての正直な感想。そんな中にあっても可能な限りの足掻きをしてみた、そんな2年間にも及ぶ日本幽閉生活の記録。

この日本に閉ざされる2年強。日本の再発見にトライする期間かもしれぬと思ってみるも自分には今までの経験と記憶をアップデートするほどのことは特になく。祭事などは日本らしさの目に見えて現出する絶好の機会なのだがこれらは悉く中止されて見ることも叶わない。そんな具合に日本において己の求めるもの欲するものを見る機会の悉くが失われ、そんな中にも何かを探して彷徨い動いてはみるが建物の中だけならともかく街・山・海どこへ行こうが見渡す限りマスクだらけの光景でどうにも気が滅入る。

実は2020年は五能線キハ40のラストシーズンということもあり、元より日本に目を向ける年に位置付けていた。が、連休の度に襲い来る低気圧に苦しみ受動的な在宅引きこもりを余儀なくされることが更に不完全燃焼に追い打ちをかける。そもそも火もついているかどうか怪しいが。

それでもその他この先が心配される被写体は多く、それらを重点的に追う日々が続く。

ただ、今更になって車両そのものがただ記録として残ればいいという考えはなく、晴天・雨天その他諸々の条件への拘りは我ながらも激しくそれ故に撮りたいはずの被写体をみすみすスルーするといった事態も多々。

これといってどこに行くあても無い暇な状況は、今まで興味が出なかった、もとい後回しになり続けていた地域へ足を向ける機会を生み出した。

沖縄や東北はその筆頭。原来、北海道のような広い大地をせっせかと駆け回っているほうが性に合う身。それ故に北海道とは真逆の性質を持っていたり目の前に本当に好きなエリアが控えるような地域には足が向かなかった。今回の有り余るほどに巨大な暇は気にはなっていながらも結局行かずじまいだった地域への踏破へ誘ってくれた。

振り返ると「やっぱり広い大地には勝たん」との想いは実際ある。けれども、手っ取り早い解決から距離を置いてまでわざわざ勤しんだ今回の沖縄東北詣はこれら地域だからこそ存在するものを実感を伴って理解し、これら地域に存在する「まだ見てないアレやコレを”どうしても”見に行きたい」想いがこれら地域に芽生えるきっかけともなり今後の沖縄東北詣のトリガーが軽くなったことは間違いない。

早い話がしのご言わずに北海道に救いを求めていればこの2年間の不完全燃焼感覚は相当に和らいでいたはず。己が求めているものはそこにあるのだから。

けれども内地には北海道には薄いもの。”日本っぽさ”がある。このコロナ禍、静まり返った日本の風景からはどこからともなく侘び寂びを感じるようで風情のあるものだった。静かで自分以外に余所者が存在しない集落の景色から東京へ人口集中が進むその前の時代の雰囲気すら漂うようであった。

時が経つにつれ家に閉じこもっていた日本国民も次第に家を飛び出すようになってきた。世間の正常化にむけてはいい動きではあるのだが、それは同時に私が密かに愛していた静かな日本の景色が再び観光公害の復活として阻害されるようになってきた。いずれは再び海外からのインバウンドも入り混じり、二年前と比べても更に加速しているSNSの影響力は山村のその最奥にまで喧騒をもたらすやもしれない。だからこそこの2年間、静かな日本を愛でるつもりで駆けずり回ってみた。


誤解を招かないように念の為。静かな日本、それはある意味この日本における地方社会の衰退を示すものでもあり実際は解消されて然るべきものとも言えるだろう。もっともその衰退からの回復の答えが(きっかけとしては良く作用するとしても)観光客による喧騒では無いのだが。本来の日本の地方の景色というのは静かとはいいつつもその地に住む人間たちが老若男女生き生きとした生活の息吹が感じられる光景であるはず。今見られる静かな日本は必ずしもそう言った光景から程遠いのは承知の上。ただ、まだそう言った時代の雰囲気が少なからずとも感じられる今はひょっとしたらかつての日本の姿を感じられる最後の時代かもしれない。

その点でこの2年間の観光客のいない時期はノイズを少なくして日本を味わうことができた。この貴重な機会を与えてくれたこの2年間というものに心からの感謝を表したい。

2度とゴメンだが。

TRAINSIT

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