Road to Mongolia-2-

初日のうちに携帯回線を開通させ、キャンプ道具も調達。翌日からいよいよモンゴルの平原に飛び出しての撮り鉄が始まる。

藪を漕ぎ、崖をも直登する撮り鉄。夜通しの移動は日常茶飯事、飯を食う間も惜しんで撮影に励む。何時間も現場で張り込む。この事からも撮り鉄というものがどれだけ過酷な遊びかがわかるだろう。これをモンゴルで行えばどうなるか、あまりにも自明でありやる前から身の毛がよだつ。そしてこれが人権崩壊を引き起こす。

本来ならウランバートル近郊の超有名撮影地、ホンホルのΩの近所まで路線バスで向かう事ができるはずだった。が、前日の現地張り込み調査でもウランバートルの中心市街からホンホル方面へ向かうバスは発見出来ず。宿で聞いてもどうにも難解。そして結局、持ち込んだキックボードでホンホルまで20kmを走る事にした。

最初こそ余裕だろう、と思っていたが甘かった。車の運転の荒い事荒い事。キチガイなまでにクラクションを鳴らす。 ストレスマッハ。我慢の限界はより早く訪れる。そんな状況では疲労は早くとてもキックボードなど漕げたものではない。

宿はひっそりと朝も早い6時に出発。キックボードで移動する以上は危険を避けるべくウランバートル市内にこの国のイカれた怒れる車達が溢れる前にさっさと脱出しようという算段だった。最初は計画通り順調だった。出発から1時間、7時。車が増え始める。気が狂ったように鳴り響くクラクション。郊外に出たと同時に荒れる路面、さらに同時に鼻水がズルズル。挙句両鼻から鼻血がドバア。北京のスモッグで傷ついた器官がいよいよもって暴発し始める。この時点で戦意喪失。この日の走行予定40km。最初の撮影現場であるホンホルオメガまでも30km弱。7時時点で10km強を削り取ってはいたもののこれ以上を走りきる事など不可能に思えた。それでも走る。根性で走る。景色を楽しむ余裕などない。自分の横を猛スピードで車が走る。時にはクレイジードライバーが10秒近くクラクションを鳴らしながら追い越していく。車同士の無茶苦茶な駆け引きを見ているだけでも精神が削られる。せめてもの抵抗にイかれた奴らに罵声を浴びせてストレスを発散するも速度はみるみる落ちていく。結局宿から30km地点のホンホルオメガに至る国道分岐に着いたのは出発から5時間経った11時。

まあ、都合よくすれ違った列車を撮影したりして休憩を挟みながら、ではあるけども。

いよいよホンホルオメガへ。国道からも目指す撮影地点が見える。ダートをせっせと進む。着かない。30分歩いても着かない。それもそのはず、近く見える…ように見えるその撮影地点は実際は3kmほど離れているのだからそれも当然だった。

それでも歩みを止めない。そして報われる時が来る。

見渡す限りの線路と草原。これよ。

この日はホンホルでの撮影もほどほどに更に奥地に侵攻するつもりだった。

が、この時点でもうこれ以上を走る気力など残っていない。もうここで今晩はテントを張って休もう。そう考え始めていた。そんな時、この付近で作業をしていたらしい保線員がやってくる。現地語で喋ってくるのであまりよくはわからないけど列車の時間を教えてくれた。

そして、本当に来た。

これよ。求めていたものは。

ただただ圧倒されるばかりの光景。この線形を利用して2回も撮影が出来てしまうと更にこのオメガの凄さというものがその身に伝わってくる。そして何より、2TE116の登坂時の大きなエンジンサウンドと何時までも続く長い貨物編成。スケールが大きすぎる。保線氏のホンホルオメガツアーはまだまだ続く。オメガ内にあるという泉にも案内してもらう。冷たく美味しい水がそこにはあった。モンゴル人達も周囲で遊んでいる。 よし、ここをキャンプ地とする。

保線氏とは暫くして別れた。が、教えて貰った時刻をもとに撮影を続ける。

機関車が皆同じなのはご愛嬌。本当は彼ら新型ではなく元来の2TE116が撮りたかったのだけれど、今やこの新型がこの国を闊歩しておりこれ以外を見る事は難しくなっているらしい。実際、オメガの中でテント泊することを利用して起きている間は一晩エンジン音がする度に線路を眺めていたけれどやってきたのはこいつらばかりだった。とはいえ、撮影不能時間とはいえこの2連接機関車が重連でやってきたのには悔しさで叫んだが。

そして翌朝。疲れで星空を見る事も叶わず爆睡してしまったがおかげでちょっと動く気が湧いてきた。朝の名物列車を狙う。

長い。26両くらいだろうか。自分自身も乗ってきたザミンウドからの夜行列車。

旅客列車でこの長さ。ただただ「おおーっ」と唸っているしかなかった。この国の鉄道風景にはとにかく圧倒されるばかり。このままホンホルを楽しんでいてもいいけれど、更なる絶景を求めて転戦。


転戦先はホンホルΩから20km、バヤンなる小集落のωカーブ。どちらも読みはオメガだけれどその違いは読んで字のごとく。かの地ではいよいよ草原をいく列車が撮影できるという。しかもホンホルの近所、ナライハを過ぎた後は交通量も減って気分も上々…のはずだった。向かい風、激しいもの。丘のアップダウン、多すぎるもの。結局3時間強かかってしまった。キックボードでならモンゴル鉄は余裕だなんて考えていた過去の自分というものは、とんだことを考えてくれたものだ。 身体はボロボロ、そこへ撮影地へ至るための丘への直登が待ち受ける。

文句を垂れながら登山。 その先に見たものは…

これだ。求め続けていたモンゴルの鉄道風景はこれだ。何もない草原を走る長い列車。実はこの編成は短い部類であって、本来なら列車のケツはさらに奥のカーブに乗ってくれる、はずだった。リベンジのため次の列車を待機。が、来るのは逆方向の列車ばかり。ωの反対側に向かえば仕留められるのだけど、そんな気力は流石にない。結局、いつまで経っても求めている中国方面への列車は来ない。その間にもジリジリと強烈な太陽光線で焼ける肌。襲いかかってくるバッタやハエ。

もう流石に我慢の限界。そんな頃にやってきた列車がなんと、

中国からの国際列車。牽引は2M62MM。求め続けていたTHEコメコン機関車。さらに緑皮色の客車達。なんとも美しい組み合わせではないか。満足して撤収。追い風に乗ってナライハの街まで一気に帰る。ナライハからはバスでウランバートルに一気で戻っていった。そのまま宿に駆け込み、爆睡。

モンゴル撮り鉄、攻略完了、、、、な訳なかった。

山と編成のケツが切れた大陸横断貨物、短い編成しか撮れていないバヤンω。まだまだ履修できていないバヤンのバリエーションアングルの数々。

出来る事ならまたリベンジを試みたいところです。

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