巨人の復活

2019年、6年弱に及んだ復元工事の末にアメリカ合衆国の線路上にある巨人機が復活した。

UNION PACIFIC Class 4000、通称”Big Boy”

全長40,490mm、軸配置4-8-8-4の巨体はテンダー込みではあるが現在のアメリカBNSFやUPの主力機関車であるGE製DLの倍近くに相当する。ただでさえ巨大なアメリカのDLのその倍の長さ、同等の背丈というのだからどれほどのものか。

そして2019年10月。動態復活した4014の静態保存時代に暮らしていたロサンゼルスへの凱旋ツアーが実施される運びになった。

ご存知の通りロサンゼルスと日本の間はデイリーで数多の便が行き交う大幹線、日本からの弾丸ツアーなどいとも簡単にできる立地にある。例によって職場を定時で抜け出し、一路アメリカを目指した。折しも10月は日本の台風シーズン。フライト当日は超大型の台風直撃直前とあり、羽田空港は翌日のフライトキャンセル対応も入り混じった大パニック。チェックインレーンは長蛇の列で一向に動きは牛歩。自らも本来の所定時間内にチェックインが完了できるかどうか怪しいところではあったが何とかこうにかスムーズに出国を果たす。

がしかし。時間通りに機内に入れど一向に飛行機は動かない。挙句には軽食が地上で振る舞われる始末。そうこうしている間にも忍び来る台風は既に羽田空港を強風圏に巻き込もうとしている。このまま出国中止になってしまわないか?やきもちした気持ちで祈ること2,3時間。ようやく最後の乗客を乗せて機は離着陸制限ギリギリのタイミングで羽田を脱出することに成功した。

当然ながらLAX着も遅れ、日の入りはサンフランシスコ沖で迎える始末。何もこの日に撮影があるわけではなく、ベッドでの睡眠時間が削られるだけなので別に構わないのだが。。。ひとまず翌日の舞台となるカホン峠の宿へ車を走らせながら、明日からの撮影に向けて気持ちは昂る。

明朝。朝早くから宿を飛び出し撮影地に陣を敷く日本人鉄の集団があった。

先客もなんのその、構わず辺りに陣取ろうとする現地鉄にややゲンナリしながらも、今回が如何にお祭り騒ぎなのかを実感する。Bigboy以外にも貨物のカットを期待していたのだが今回Bigboyが走行するUP線には線閉を敷いているのか何なのか、朝から一本たりとも列車の通過はなかった。それらを含めて今回のBigboyロサンゼルス凱旋の意味するものの大きさを実感する。

やがて、目当ての巨人機の接近を知らせるかのようにヘリが上空を飛び、やがてBigboyの野太い汽笛が木霊する。そしてやってきた編成の何と長いこと!慌てて構図を修正し、何とかギリギリ編成を構図内に入れ込んだ。

我々は列車の追っかけを試みるも列車が思いの外早く、カホン峠の中で2発目を狙うことは叶わず、大人しく平野部へ先回りする。

先行してきたフレイターのDLと比べて如実に長いことがお分かりいただけるだろうか。

この日はBigboyの追っかけは切り上げ、卒業旅行以来2年ぶりとなるラッドローの丘へ。

まさかこの丘に再び立つ日が来るとは思ってもいなかったが、折角近くまで来たので寄り道。前回とは違って抜群に空気の抜けが良く、前回の上位互換が収穫できた。

夜はステーキハウスで会食。そのままグッスリと睡眠…とはいかず。

夜戦突入。流石に丸一日の活動は身体に堪える。ゆっくり休んで朝はゆっくり…

出来るわけがない。目の前にVの確信があってみすみす捨てる奴がどこにいる。

そして場所を変え、バーストーへの回送シーンを抑えにかかる。この回送シーンを順光で抑えられる場所はただ一つ。必然的に見物人は一極集中。もっとも大らかなアメリカ人達はただ一人のウルトラハイアングラーを除いて別に立ち位置に拘るわけでもなく勝手気ままにポジション取りしているわけだが、そんな中にあってもベスポジ狙いでガチガチの雛壇密集陣形を取る日本人鉄の群れ。

お国柄の違いが綺麗に現れた瞬間。

その先もカホン峠へ向けて追っかけていき、カホン峠での俯瞰を持って撮影は終了。

温暖な気候故に盛大な煙こそ拝むことは出来なかったものの、世界最大級の蒸気機関車をこの目と己の手で記憶と記録をすることが出来たことはこれ以上ない体験になった。

帰国便は深夜。抜群に美しい晴れを前にして夕暮れは是非ともここで、と寄り道。

頭に流れ続けるHotel california.

日本から9千キロ離れた地で迎える何とも優雅な週末。実のところ明日には出勤なのだが。

この非現実な現実からくる倒錯感。これが弾丸トラベルの醍醐味。

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