リハビリ旅行inUS -2-

24時間もないサンフランシスコ滞在を終え向かうはラスベガス。ここでロサンゼルスから別動していた友人に拾われて夜闇のフリーウェイをひた走る。真っ暗闇に突如ポツンと現れる煌々と輝いた人気のないガソリンスタンド、町は境目をはっきりと感じさせるほど急に始まる。2年ぶりの大陸ドライブはなんとも感慨深く、自らへ飛び込んでくる情報量もどことなく多く感じる。翌日はアリゾナ州、グランドキャニオン近くの区間での撮影を行う。砂漠が広がるアメリカ西部地域にあってこのエリアは比較的に水分が多いためか低木が茂る場所が点在する。これを狙おうという魂胆である。

但し撮影地へのアクセスは過酷そのもの。主要道路からは遠く離れ荒れたダートを何キロも走って辿り着くところばかり。

車に何かあれば無事に帰る保証は一切ない。死ぬか生きるか、久々の感覚に緊張が走る。だがこれが楽しくて来ているのもまた事実。もっともゲロどころか血を吐くレベルでしんどいのだが。そして久々の海外鉄道撮影行。アリゾナを走る幹線貨物など世界各地の鉄道の中では運行本数は多い部類に入るのだから特に何を考えずともVが手に入るとの考えは脆くも崩れ去る。

撮影地へのアクセスに四苦八苦、思ったように来ない列車にやきもきし、気がつけば日の入り間際まで粘ってしまっていた。この日はラスベガスで賑やかな夜を楽しむ算段でいたのだがこの時19時。今から車を走らせればラスベガスには22時に部屋に入れるかどうか。とにかくラスベガスへ戻り、ステーキを食しド派手な噴水を鑑賞する珍しく人並みな旅行者ムーブを超圧縮でこなす。願わくばずっとこんな悠長な旅がしたいものだが、どうにもそうもいかない悲しきヲタクの性である。しかもこの国は移動距離が平気で片道3時間を超え、謎とき冒険バラエティーですらも人権を露骨に失う国である。どうやっても優雅な旅行など叶わぬ夢。当然のように朝も気が狂ったように早い。遠征を企てた頃「2年間のブランクをリハビリするにはアメリカが丁度いい」等と宣っていた自分を張り倒してやりたい。

翌朝は朝一でPCRを受け、そのままデスバレーをひたすら車を走らせる。2017年の遠征でも同じルートを辿り、あの頃は無限にも感じる広大な荒野にただひたすら感動していたものだがチリやアフリカなど巡り巡って来た今ではどこか見慣れた景色。2年のブランクを経てなお残る慣れた感覚とは恐ろしいものである。

この日の目的地は辺境の鉱業町トロナ。この町に隣接するSearles lakeから産出する重炭酸ソーダと石灰を算出、これの処理プラントの為に出来た町。このプラント操業のためにTrona railwayと呼ばれる専用線がこれまた専用敷設されたUP支線と接続してモハーヴェまで続く。この専用線区間が面白く、現在本線では見ることのないEMD Dash2が牽引機として仕業に就く。トロナ近郊の奇景トロナピナクルズをバックに走行することも相まって機関車、景観の両面から趣味者を引き付ける路線として知られる。走行は過去の情報からすれば平日13時~15時頃にトロナを出発、一時間ほどでUPとの接続点であるSearlesに到着し、荷の受渡し(UPの走行はまた別の時間)を行ってまた引き返していく。もっとも専用線あるあるとして出発時間の傾向があるのはまだ易しい部類であったとしても実際に列車がいつ動くのか本当に走るのかは行って待ってみなければわからない。心臓に悪い遊びなのである。

結局、この日も15時になるまで入れ替え機がちょこちょこと構内を動き回るのをチラ見えするばかりで遂に痺れを切らし諦めかけた頃。本線へ出るべく動き始めた編成を諦めて撤収する間際に偶々目撃して追撃することができた。

列車の速度は速いようで遅いようで微妙な速度。かたやこちらは舗装路からダートに入る上にちょこちょこと蛇行を繰り返す。列車の走行を確認できたからと一安心している場合ではない。

なんとかトロナピナクルズまで逃げ仰せ、撮影ポイントまでもう一押しのはずが軟弱シティーボーイSUVでは超えられそうもない線路が道路上に横たわる。仮に我々の車が線路上にでも立ち往生すればどうなるかわからないのでここからは己の体で全力ダッシュ。丘を上がれるだけ上がって…息も絶え絶えに迎え撃つことに成功した。

ところでこのトロナピナクルズ。少し前に東カレだったかで六本木男子?港区男子?が年越しキャンプをするオシャレスポットとして紹介されている記事を見たことがある。いざ現地に行ってみるとなるほど確かに世界広しといえどもそう滅多と見ない堆積物の奇景はホンモノと認めるに相応しいがそのアクセスと現地の砂っぽさ、携帯の電波も捕まえられない辺境具合からは華やかりし彼らとはおよそ程遠い環境であるのが面白い。ギャップ萌えとはこういうものなのであろうか。

連日の遅寝早起きと昼間の運動量でくたびれ果て、インターネットに接続できないようでは翌日の戦略すら考えられない我々はこんな場所でテント泊など出来ようはずがない。この専用線が引き返してくるのが日没後と察するや否やモハーヴェのモーテルに向かって爆走するに至った。翌朝は当然のように5時前から車を走らせ未明の空港へ。夜の天体観測を終えて帰還してくるB747SP「NASA SOFIA」を待ち受ける。

この機は先日退役が発表され、数少ない現役の短胴型ボーイング747が更に減少することとなる。ましてその尾翼にはNASAマークが描かれているとくればそれはもう撮りたくなるに決まっている。太陽も未だ昇らぬ薄明期のなか、尾翼を誇らしげに輝かせ地上を転がる姿を何とか抑えることができた。

日の昇ったあとは貨物列車を求めてテハチャピ峠へ。アメリカ貨物ならではの長大編成が数多のカーブを描きながら山を越える様を捉えるにはこの上ない区間がここ。1-3月の冬場雨季に突入すると一帯はモンゴルの草原さながらの緑に包まれる。5月は既に遅かったようで早くも乾燥地らしい枯れ色の風景へと変貌していた。とはいえ2,3月に渡航を狙っていた3連休はいずれも当然のように雨で行かなくてよかったと思ったこと何回か。それほどまでに雨が降るからこそテハチャピの緑が生まれるというものか。その大草原を彩った草は子孫を辺りへ撒き散らす季節へと移るのだが、そのやり口は実にエグい。極太で鋭い種子が靴やズボンを容易に貫き、あまりにも深く刺さったその夥しい数の種子は衣類から引っこ抜くことも難儀する。さらにはガラガラヘビに威嚇されるなど撮影地の行き帰りはまさに前途多難。ただ、この地で今回遠征最大の当たり目を引くことになる。

一山丸々包み込むようにトグロを巻く超長大編成のダブルスタックコンテナ列車。米国大手JBHuntの白いコンテナが殆どであるなか色とりどりの海運コンテナに彩られる国際色豊かな編成は実はそう多くない。これだから地球を股にかけたガチャはやめられぬ。改めてそう思ったこの神引きの瞬間であった。

日の入り前、山を降りて再びパームデールの空港際に立つ。夕日を背に佇む747SPのプロポーションが実に艶めかしい。

日の入りとほぼ同じ頃になってようやく機は滑走路へラインアップ、夜空を目指して上昇していった。微妙に明るさ残る状況での高感度撮影は一昔前の機材にとっては最も苦手とするところ。ノイズ感は否めないがなんとか捻りをも確保してこの日の行程を終えた。

この時既に時間は20時。V収穫の生贄に差し出されたのは夕暮れのボードウォークのバーにしゃれ込むつもりだったアメリカ滞在最後の晩餐計画。最後の最後まで安息の時はない。

結局スケジュールが押しに押されて最後の目玉に取っておいた海べりの線区は帰国日の朝に少しだけ齧るのみとなった。

貨物は一本も来ず、なんとも言えぬ結果ばかりが残る。まぁこんなこともあるかと自分を言い聞かせ、また何かしら理由を付けてLAに飛んでくる機会を早くも考え始める。

かくして二年ぶりの海外遠征はリハビリと呼ぶには程遠いフルスロットルで瞬く間に滞在6日間を消化していった。強度の負荷によってかつての感覚を呼び覚ますそれはショック療法と呼ぶべきか。ともかく、来る度に欲しいカットを適度に抑え、アメリカで撮影遠征を敢行する理由も減ってきていることは確かでそれは即ち将来の優雅なるアメリカバカンスの布石を意味する物なのか。

今後の展開を注視したい。

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